源さんの背中

深夜のレジ劇場

――深夜2時すぎ、Fマート浪速人情店。

店内は冷蔵庫のブーンという低い音と、たまに鳴るレジのピッという音だけ。 夜勤レジには、店長と中村だけ。

中村「……あの、店長」

店長「なんや」

中村「今夜の静けさ、ちょっと怖くないですか?」

店長「いつも静かやろが。何を今さら……」

中村「いや、なんか……空気が違うんですよ。さっきからずっと鳥肌立ってて」

中村は腕をさすりながら、冷凍ケースをチラ見した。

店長「それ、ただの冷房や」

中村「違うんですよ、今日の夜は“何か”が来る気がして……ほら、霊的なやつです」

店長「バイト先に霊感求めるな。ええか、深夜に怖いのは“人”や。生きてるほうがタチ悪い」

そう言って笑った店長だったが―― その瞬間、カラン……と、静かにドアベルが鳴った。

ふたり同時に顔を上げる。

ゆっくりと入ってきたのは、 背の高い男。 でかいジャンパーに、キャップを深くかぶり、 顔は見えない。

が、なにか…空気が変わった。

中村「……どなたですかね?」

店長「いや、見たことないな。常連でもなさそうや……」

その男は無言で、店内を一周。 おにぎり棚でしばらく止まり、ホットスナック前で立ち止まる。 やがてアメリカンドッグを1本手に取り、レジに向かってきた――。

……並んだ。

まさかの、“列に並んだ”。

中村「……え? 並ぶんですか?」

深夜2時。ほかに誰もいない。 なのに、その男は無言で、列という概念をきっちり守った。

中村「店長……あの人、めちゃくちゃ並び方、ちゃんとしてはりますよ……」

店長「無駄に律儀やな。なんやろな、あの“背中”……ただモノちゃうで」

中村はレジに立ち、震える声で対応する。

中村「ア、アメリカンドッグ、1本……あ、あついのでお気をつけください……」

男は少しだけうなずいた。 そして低くて、ガラガラした声で言った。

???「……それでいい」

中村の背中にゾワっと寒気が走る。

店長「……お客さん、初めてですか?」

男は少しだけ顔を上げた。 口元だけが見える。無精ヒゲと、無言の空気をまとう笑み。

源さん「……近くまで来たからな」

それが、源さんとの初会話だった。

レジを通し終え、店を出ようとしたとき。 中村は、なぜか止めた。

中村「……あの、なんでウチの店を?」

それは何気ない一言だった。 だが――その瞬間、男の動きが止まった。

背中がわずかに、揺れる。

源さん「……息子がな。ここと似たようなとこで、夜勤してた」

静まり返った店内。 レジの電子音が鳴らない。 冷蔵庫の音すら、遠くに聞こえる気がした。

中村「……そうだったんですね」

店長「じゃあ、もしかして……もう……」

源さん「ああ。もういねぇ」

たったそれだけの言葉だった。 でも、その背中がすべてを物語っていた。

言葉ではなく、空気で、視線で、立ち姿で―― すべてが伝わってきた。

ふたりとも何も言えず、ただその背中を見ていた。

ドアを開け、源さんは一歩、外に出た。

だがそのとき、振り返らずに言った。

源さん「……また来るよ。どうせ夜しか居場所ねぇしな」

カラン……とドアが閉まる。

それは、今夜だけの出来事だった。

中村「あの、店長……あの方……背中が、何かを語っていたように感じませんでしたか?」

店長「語っとったな……下手な説教より、刺さったわ……」

その夜から、ふたりの中で 「背中の男」が語り草になった。

だれも知らない、その名も――

源さん。

――翌日。深夜2時少し前。

中村がレジ前でうろうろしながら、落ち着かない様子でつぶやいた。

中村「……今日もいらっしゃるでしょうか、あの背中の方」

店長「来るか来んか、そんなもん気にして仕事できるかい。ええか、バイトってのは“待つ仕事”やけど、“頼る仕事”ではないんや」

中村「いや、そういう哲学の話じゃなくてですね……ただ、気になりまして」

店長「好きなんか」

中村「え? どなたがですか?」

店長「源さんや」

中村「ちょ、ちょっと待ってください店長、それは飛躍しすぎじゃないですか! なんですかその展開!」

店長「いや、昨日のお前の顔、完全に恋してたで。“あの背中……忘れられません……”みたいな」

中村「言ってませんって! なんですか、“背中萌え”って……!」

店内に軽い笑いが戻ってきた、ちょうどそのとき―― カランコロン。

ふたりの会話を裂くように、静かに、あの音が響いた。

入ってきたのは、やはり彼だった。

源さん。

昨日と同じ格好。大きなジャンパー。帽子。 そして、重たい空気を連れてくるあの背中。

中村「……店長。いらっしゃいました」

店長「ああ、来たな」

源さんは何も言わず、昨日と同じ動きで、アメリカンドッグを手に取る。

それから―― また、列に並んだ。

中村「……やっぱり律儀ですね」

店長「人は“クセ”でわかるんや。あの人の人生、“律儀”で出来てんねん」

順番が来て、源さんがレジに立つ。

中村「アメリカンドッグ、おひとつ……また、揚げたてです」

源さん「……知ってる」

その一言に、思わず中村は笑った。

中村「源さん、あの、昨日……息子さんのお話……」

源さんは、少しだけ首を傾けた。 そして、小さな声で言った。

源さん「……名前、達也って言うんだ」

中村「達也さん……」

源さん「21で死んだ。バイク事故だよ。夜勤終わりに、帰る途中だった」

静かな店内に、冷蔵庫の音がやけにうるさく響いた。

店長「……そら、つらかったですね」

源さん「いや、いまでも辛ぇよ。……でも、あいつが働いてたコンビニ、こんな感じだったって聞いてな」

中村「……だから、いらしたんですね」

源さんは、アメリカンドッグを袋に入れながら、うなずいた。

源さん「バカみたいだけどよ。ここにいると……あいつがまだ、そこら辺にいる気がするんだよ」

店長「バカちゃいますよ。ワシらも、ここに来る人間の“人生”を、ようけ見てきた」

中村「でも、背中で語る人は初めてですね」

源さん「……お前、昨日から“背中背中”ってうるせぇな」

ふたりは思わず笑った。 源さんも、少しだけ、笑った。

その笑いには、昨日よりも少しだけ“今”があった。

中村「源さん、またいらしてくださいね。揚げたて、毎日ご用意しておきますので」

源さん「……ああ」

店を出る前、源さんは少し立ち止まり、振り返らずに言った。

源さん「……あいつも、レジでよく、笑ってた」

その声が、なんだか遠く感じた。 いや、深かった。

背中が見えなくなるまで、ふたりは黙って見送った。

しばらくして、中村が言った。

中村「店長……私、あの方の人生の一部に、ほんの少しでも触れられた気がして、うれしいです」

店長「お前が人生に混ぜてもらえるんは、珍しいことやぞ。だいたい調味料にされて終わるタイプや」

中村「違いますって! 今日はちゃんと具材でしたよ!」

店長「まあ、せやな。源さんの中の“忘れたくない風景”のひとつになれたかもな」

――その夜から、源さんは、毎晩同じ時間に、同じアメリカンドッグを買いに来た。

列に並び、レジで少しだけ話し、 店を出る。

その繰り返しの中で、 少しずつ、店の夜はあたたかくなっていった。

そしてある日、店長がこう言った。

店長「人ってな……誰かの記憶を背負って、生きてんねん」

中村「そうですね……そして、誰かの記憶になっていくんですね……」

店長「そういう背中を見て、ワシらも、ちょっとだけマシな人間になれるんや」

Fマート浪速人情店の深夜。

ひとつの背中が、確かに語った。

語ったことで、誰かの夜を、少しだけ照らした。

それが、源さんの“レジに並んだ夜”。

――その背中は、今も静かに、夜勤の店を歩いている。

(完)

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