深夜2時のFマート浪速人情店。
人通りも少なくなり、蛍光灯の光だけが、静かに売場を照らしている。
店長 「……なあ、中村。お前、トイレ掃除、どない思てる?」
中村 「な、なんですの急に。めっちゃ静かな店内で、その質問……こわいっすやん……」
店長 「怖ないわ!たかがトイレ掃除や。けどな、“されど”トイレ掃除やねん」
中村 「はあ……まあ、正直に言うたら……めっちゃイヤです。あの匂いとか、飛び散りとか、たまに“宇宙人みたいな使い方”されてる時あるじゃないですか。あんなん人類ちゃいますよ、ホンマ」
店長 「お前な……それがアカンねん。“イヤ”って思うた時点で、心が掃除されてへんのや」
中村 「いやいや!店長、心で便器は洗えませんて!物理攻撃には物理でいきましょ、って話ですよ!」
店長 「アホ!ちゃうねん。トイレってのはな、その店の“魂”が出る場所なんや」
中村 「……魂、便器に宿るんすか……?」
店長はタバコの火を消して、棚の下からゴム手袋と洗剤を取り出す。
店長 「ほれ、ついてこい。今日は俺が“愛あるトイレ掃除”を教えたる」
中村 「いやいや、今からですの!?この静寂な時間に!?ホラーやないっすか!」
店の裏手、トイレの前。2人、無言で立つ。ちょっと緊張した空気が流れている。
店長 「まず、便器のフタを開ける前に、深呼吸。トイレに敬意を払うねん」
中村 「敬意!?え、あの便器にですか!?」
店長 「せや。“今日もお勤めごくろうさん”って心で唱えるねん」
中村 「お勤めごくろうさんて……便器に!?店長、だいぶきてますやん!もう宗教やん、それ!」
店長が真剣な目つきになる。
店長 「中村……お前な、ここだけの話やけどな……俺が20代の時、トイレ掃除で泣いたことあるねん」
中村 「えぇっ!?なにがあったんですか!」
店長 「あの頃な、ワシはまだ若造で、売上のことばっかり考えてた。笑顔の作り方も知らん、スタッフに怒鳴ってばっかり……ほんで、ある日、本社のSVが来て言うたんや。“あんたの店、臭うで”って」
中村 「え、それって匂いの話ですか?それとも人間性?」
店長 「両方や。ほんま、ぐうの音も出んかったわ。でな、その晩、自分でトイレ掃除したんや……それまでスタッフ任せにしてたんを、初めて自分の手で」
中村 「……で、泣いたんですか」
店長 「せや。涙出てきてん。なんでか言うたらな、“俺、こんな大事な場所を人任せにしてたんか”って思たら、情けのうて、情けのうて……」
便器のフタを静かに開ける店長。
店長 「人間ってな、自分が大事にしてへん場所には、心も込めへん。“トイレが汚れてる=心が汚れてる”っちゅうのは、そういう意味や」
中村 「なるほど……でも店長、それってあれですね、“ラーメン屋の魂はスープに宿る”的なアレっすね!」
店長 「うん、例えがうまいようで、ちょっとズレてるな」
店長は便器の裏側にブラシをあてがう。
店長 「たとえばな……このトイレに、子連れのお母さんが入ることもある。夜勤の帰りに、汗だくのトラック運転手が使うこともある。人生の中で、たった一回の“このトイレ”を使う人もおるかもしれん」
中村 「……あぁ、たしかに。俺らにとっては毎日の場所でも、お客さんにとっては“一回こっきり”やもんなぁ」
店長 「せや。“一期一会”や。トイレ掃除ってな、見えへんところで誰かの“安心”を守る行為なんや」
中村 「安心を……守る……」
ふいに沈黙。中村は、手袋をはめる。
中村 「店長……俺、ちょっとやってみていいっすか?」
店長 「お、ええやんか。やってみい」
中村は便器の中をじっと見つめる。
中村 「おつかれさまっす。今日も汚れ、受け止めてくれてありがとう……あ、なんか言うてる自分、ちょっとアホっぽいですね」
店長 「ええねんええねん、それでええ。アホになれたとき、人は一番優しなれるんや」
ゴシゴシ、ブラシの音が響く深夜のトイレ。
中村 「……これ、なんやろな。最初イヤやったのに、ちょっと楽しいかも」
店長 「そやろ。トイレ掃除って、心が整うんや。コンビニはな、商品並べるだけが仕事ちゃう。こういう、見えへん部分こそ、誰かの明日を支えとるんやで」
数分後、掃除完了。トイレはピカピカ。
中村 「できました……!あ、見てください店長、便器が輝いてる!」
店長 「そや。そいつは今、世界で一番キレイな便器や。誇ってええぞ」
中村 「なんか、オレ……少し大人になった気がします!」
店長 「せやから言うたやろ。“トイレ掃除は愛や”って」
しばし無言。2人並んでトイレ前に立つ。
中村 「店長。次のシフト表、トイレ掃除、俺、固定でいいっすよ」
店長 「なんでやねん。お前、それ言うたらみんな逃げてまうやろ。ちゃんとローテーションで回すんや」
中村 「あ、そっか。でも、なんか……またやりたくなるっすね」
店長 「それが“愛”や、中村」
深夜3時。
ひとつのトイレが、愛で磨かれた。
それは、誰にも気づかれへんかもしれへん。
けど、確かにそこには、“誇り”が宿っていた。
時刻は深夜3時半。
Fマート浪速人情店のトイレは、まるで新築のように輝いていた。
便器が照明を反射してピカッと光り、中村はまるでそれを「自分の功績」かのように誇らしげに見つめていた。
中村 「店長……あの、マジで今日、“生まれ変わった気分”なんですけど」
店長 「ははは。大げさやな。けどな、それが“掃除の力”や。キレイにするんは、場所やのうて“心”なんや」
「……すんません、トイレ貸してもらえますか?」
深夜にしては珍しく、背の曲がったおばあさんが小さな買い物袋を持って入ってきた。
中村 「あっ、はい、どーぞどーぞ!いまピッカピカですんで!」
おばあさんは笑ってペコリと頭を下げる。
3分後。
トイレから出てきたおばあさんは、出口へ向かいかけたところで、ふと立ち止まる。
おばあさん 「あのね……お店の人。トイレ、ほんまにキレイやった。ありがとうね」
中村 「うわ、なんかそれめっちゃ嬉しいっす!」
店長 「おばあちゃん、遅い時間にどこ行ってはったん?」
おばあさん 「ああ、孫の家に行く途中でね。ちょっとお腹冷えてしもうて……ほんま、助かったわぁ。ここのトイレ、あったかかった」
中村 「……あったかい……っすか?」
おばあさん 「うん。“人のぬくもり”っていうんかねぇ。なんや、ホッとしたわ」
おばあさんは笑顔で去っていく。残された中村、ジーンときている。
中村 「……店長、今の……めっちゃ効きましたわ……」
店長 「せやろ。“掃除は、見えへん誰かの笑顔を作る”って、そういうことや」
数時間後、空が白みはじめる頃。
いつもの常連ハルさんが、缶コーヒー片手に店に現れる。
ハルさん 「おはようさーん。あら?なんか……トイレがキラッキラしてるやん!」
中村 「気づきました!?昨日の夜中、魂込めて磨いたんすよ!」
ハルさん 「へぇ~。中村くんが!?あんた、いつも“掃除無理〜”って顔してたのに、どないしたん?」
中村 「それがですね……変わったんすよ、心が。トイレで……!」
ハルさん 「なにそれ、トイレで心が浄化される系男子?なんや、青春ドラマ始まりそうやなぁ!」
店長 「……せや、ハルさん。“トイレ掃除は愛や”やで」
ハルさん 「出た!その名言、前も言うてたな!」
深夜の会話
中村 「……店長、オレ、いつか“トイレ評論家”とか名乗っていいっすかね?」
店長 「なんやそれ。けど、ええやん。お前のその発想、嫌いやないで」
中村 「目指すは、便器界のカリスマっす!」
店長 「おい、頼むからテレビとか出るとき、うちの店の名前出してな」
中村 「任せてください。“Fマート浪速人情店で磨かれました”ってテロップ出しますわ!」
2人、笑い声をあげながら、モップを片手に店内を歩いていく。
トイレ掃除は愛やで。
それは、ちょっとだけ人生を変える“魔法”やった。
(完)
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